脳出血から生還~日々続くリハビリを記録

55歳の働きざかりで、脳出血で緊急入院。もう一度「ロードバイクに乗りたい」「ツールド東北に出たい」男の闘病記。

ローカットの新サポーター

新しいサポーターです。

ショートカットなので、内反には少し効果ありますが、ドロップフットにはほとんど効果無いタイプ。

感覚的には、裸足歩行に近いです。

 

10月から導入しました。

初めて着けた時、失敗したと思いました。こりゃ難しいわいと。

ですが、ミズノ社製ハイカットと裸足とミックス利用し、やっと昨日から違和感なく履けるようになりました。

まだ、感覚的にはハイカットの方が安心感があります。

 

新たにLINEで片麻痺の方達との情報交換グループに参加しました。

とても勇気づけられるグループで、かつ、情報も経験者が発信するので、とても有益です。

 

なんとなく、来春には、補装具無しで生活できるようになるんじゃないかな、と感じています。

 

サポーターあれこれ

21年1月発症、長下肢装具から上部を外し短下肢化(ダブルクレンザックのゲートソリューションタイプ)、続いてタマラック。ここで発症から5ヶ月、21年5月に退院。

通所リハビリを続け、翌年2月頃オルトップになりました。

 

リハビリ科の先生(ユミちゃん)は、私の状態と歩様からオルトップは無理。ゲートソリューションデザイン(ゲーソル)を薦めてきました。

タマラックとオルトップの差は大きくオルトップなら、市販の靴の多くが履けるようになります。しかしゲーソルだと、一般の靴のほんの一部が履けるだけ。

 

ユミちゃん先生に懇願し、オルトップの処方箋を書いてもらいました。

 

先生は、使ってダメなら諦めると思ったそうです。

 

オルトップでは、見事なまでの反張膝が出て、先生の目論み通り大苦戦しました。

 

この頃、麻痺SNS仲間のいつでも改善期さんからのアドバイスで、床半力や半力作用線を知り、歩行運動の学習を開始しました。

 

半張膝の克服に成功すると自信が着き、22年12月にザムストサポーターとミズノのサポーターを買いました。

 

ミズノのサポーターは、買ってすぐ使ってみましたが、全く使えませんでした。

ザムストを履くと、前と同じく、半張膝が出ました。ですが、前回と同様にトレーニングを積み重ね、半年後、23年初夏にザムストを履きこなせるようになりました。

こうなれば、ミズノでもと頑張ると数ヶ月ではきこなせました。

23年8月の澳門は、ミズノでした。

23年9月14日からは、裸足歩行も始めました。裸足では内反と尖足がおさえきれず、今、苦戦しています。

 

現在はミズノのハイカットサポーターとローカットサポーターを併用。たまに裸足歩行です。

 

 

 

 

一年ぶりのジャカルタへ

思えば昨年、脳出血後初めての海外出張を経験しました。その時に着けていたのが、写真の装具オルトップ。

一部の普通靴が履けるので、活動の幅が大きく広がりました。

 

今年も10月に西ジャワの製紙工場を訪れることになりました。

今回も同じグラン・メリアホテルにお世話になります。

 

今日は、裸足で出勤しましたが、ほとんどは、サポーターを使っていて、裸足の日でもサポーターは持ち歩いています。

 

ジャカルタにもサポーターで行く予定です。しかも、ザムストではなくミズノの小さいほうを考えています。

 

リハビリは質より量

あるリハ医のyoutubeを見ました。一気に三本、1時間半。

そのなかで、堀尾式のリハビリに触れていて、専門の医師がその有効性を解説していました。

1.絶対に治すと言う意思をもつ

2.非麻痺側を先生にする

3.出来るまで何千回もやる

 

なるほど~、ほとんど僕がやってきたことと同じだ。

脳の再教育(リプログラミング)が必要だと言う。麻痺は脳の問題で四肢には、骨折や筋断絶などの以上はない。ただ動かす指令がうまく伝わらないだけだ。

 

だから、非麻痺側でやってみて、それを麻痺側で再現する努力をするのだ。可塑性、医師は、パスリータ~にも触れていて、絶賛している。

まあ、最初の一ミリ、つまり微動だにしない指を一ミリでも動かすには、フォースの力か、イエスの奇跡か、仏の慈悲か、はたまた、お愛宕さんのご加護、何でも良いので強い信心で、動く、動くと念じて動かすしかない。

もし、動いたら、それを繰り返すだけ。あとは、質より量、なんだそうだ。

 

さて、いまの僕は、社会復帰し、飲み会や旅行なども含め、日常の事はほとんど出来る。

勿論走れないし出来ないことはあるが、事「日常」については、不自由はそれほどない。

 

それ故、なんとなく目標を失っていた。

厳しい自己管理を実施し、体重や塩分摂取については、目標をクリアしている。

 

自分自身で目標(裸足で歩く、自転車に乗る)を再確認し、そのためのリハビリをしっかりやるしかない。

 

このリハ医も言っているが、リハビリは一生続くものだ。人は老化するのだから。

質より量、運動学の基本のき、さあ、頑張ろう!!

 

 

 

 

頑張ること

若い時からあまり頑張ることが得意ではなかった。

努力と言う言葉からは程遠い人生を送ったかもしれない。

 

それが、脳出血になり、絶対に回復したいと必死に努力してみた。

 

努力は結果を裏切らず、東北大の先生達が、奇跡的とか、驚異的とか言う回復に繋がった。

 

私がおもうに、大学生の頃スキーをしていたことが大きいように思う。

足裏感覚や体重移動、そして、床反力など下肢のリハビリに通じる事が本当に多い。

足裏の感覚など、スキーでは、COGを板の上のどこに置くのか、を意識する時、足裏の2.3ミリをいつも気にしていた。

また、体力、体格に劣る私が肉体大や駒沢大学などの皆さんと渡り合うには、情報収集と研究しかなかった。この考える力も生きたと思う。

 

また、精神面ではヒルクライムも大きかった。見えない頂上を目指し、延々と登る。リハビリに似ている。

 

多くの方のサポートと声援があってここまで回復してきた。

今年は8月、9月、10月、11月と海外出張、旅行を積めんでいて、倒れる前と同じか、それ以上のペースで旅したいと欲張っている。

この「欲」こそがエネルギーだと思う。

11月には84になる母を連れて、母にとり久しぶりの台湾。もう二度と海外を訪れることはないと言っていた母が「欲」をだしてパスポートを取ってきた。

楽しい親子旅にしたいと思う。

 

 

 

 

 

ヒルクライムと脳出血

脳出血は残酷な病だ。

 

脳の中の細胞が死ぬ。

 

その事により、体の様々な機能が一遍に駄目になる。

 

麻痺が残った場合、それは一生の付き合いになるようで、障害者に格付けされる。

 

中年ヒルクライマーだった。

心肺を鍛え、心拍数170ぐらいまで上げて坂を登るトレーニングをしていた。

 

脳出血後、循環器の医師に「配管」が経年劣化しているところに、ポンプを高圧タイプに変更すれば、配管が持たないだろうと諭された。

 

つまり、生活習慣と加齢により劣化している血管を顧みず、心筋ばかり鍛えたから、血管が裂けたのだ。

 

だが、皮肉なことにヒルクライムをしていたからこそ、片麻痺を改善できてもいるようだ。

 

長年通っている整体の先生は、あの仙台育英サッカー部出身で選手権ベスト8メンバー。

彼が倒れる前に私のふくらはぎを「えげつない脹脛」と称賛してくれていた。

また、健康診断で、クレアチニンの値がかなり高く、精密検査したところ、同世代の人に比べ筋肉量が異常に多い事が判明した。

医師からは月に1000キロは乗る自転車のせいだろうと呆れられた。

 

基礎的な筋肉量が多く、麻痺によるノンユースの期間に失われた筋肉量を引いても、まだ結構残っていたようだ。

 

いずれにせよ、何でもバランスが大切と言うことだ。

 

 

ヒルクライムは楽しい、達成感も半端ないし、ドーパミンが出まくる。

 

たが、追い込むなら、「血管」を凄く意識してほしい。

スイスのメーカーBMC

 

 

内反尖足

8月19日、勇気をだして裸足で外出してみた。

やはり、内反尖足が強く出る。と言っても、退院直後のようなものではなく、サポーターで押さえられる範囲のものだ。それが裸足だとよりはっきり出る。

そのため、下垂足気味になり、爪先が引っ掛かりやすくなる。怖いので、左の麻痺側を持ち上げる代償動作がでる。勿論、目指すべきターミナルスタンス相まで意識も及ばず。おまけに膝のロッキングがでる。

 

まるっきりタマラックからオルトップに変えたときと同じ。それに加え、底屈制限がまるでないので、下垂足のおまけがつく。

 

これは、難易度が高い!

 

でも、三年近くも裸足で歩いていないのだ。初めから上手くも行くまい。

 

歩き続け、今までと同じように一つづつ課題を克服すれば良いのだ。

 

竹湾ビーチ@コロアン島