脳出血から生還~日々続くリハビリを記録

55歳の働きざかりで、脳出血で緊急入院。もう一度「ロードバイクに乗りたい」「ツールド東北に出たい」男の闘病記。

サポーターあれこれ

21年1月発症、長下肢装具から上部を外し短下肢化(ダブルクレンザックのゲートソリューションタイプ)、続いてタマラック。ここで発症から5ヶ月、21年5月に退院。

通所リハビリを続け、翌年2月頃オルトップになりました。

 

リハビリ科の先生(ユミちゃん)は、私の状態と歩様からオルトップは無理。ゲートソリューションデザイン(ゲーソル)を薦めてきました。

タマラックとオルトップの差は大きくオルトップなら、市販の靴の多くが履けるようになります。しかしゲーソルだと、一般の靴のほんの一部が履けるだけ。

 

ユミちゃん先生に懇願し、オルトップの処方箋を書いてもらいました。

 

先生は、使ってダメなら諦めると思ったそうです。

 

オルトップでは、見事なまでの反張膝が出て、先生の目論み通り大苦戦しました。

 

この頃、麻痺SNS仲間のいつでも改善期さんからのアドバイスで、床半力や半力作用線を知り、歩行運動の学習を開始しました。

 

半張膝の克服に成功すると自信が着き、22年12月にザムストサポーターとミズノのサポーターを買いました。

 

ミズノのサポーターは、買ってすぐ使ってみましたが、全く使えませんでした。

ザムストを履くと、前と同じく、半張膝が出ました。ですが、前回と同様にトレーニングを積み重ね、半年後、23年初夏にザムストを履きこなせるようになりました。

こうなれば、ミズノでもと頑張ると数ヶ月ではきこなせました。

23年8月の澳門は、ミズノでした。

23年9月14日からは、裸足歩行も始めました。裸足では内反と尖足がおさえきれず、今、苦戦しています。

 

現在はミズノのハイカットサポーターとローカットサポーターを併用。たまに裸足歩行です。