永遠のゼロ?!ハチローさんとゆっくり話をした。
文句ばっかり言っていたが、
私が海軍時代の話を聞きたいというと、
彼の半生を面白可笑しく話し始めた。
骨折して、いまハードウエアが駄目だが、
ソフトウエアは大丈夫です。
などと、およそ95とは思えない用語を使う。
また、ハチローさんは、新聞を老眼鏡なしで読む。
戦況が悪化し、二年時に土浦航空隊に配属された様です。
その後台湾の航空隊に転属され、
米国のグラマンf4f通称ワイルドキャットと
19年10月に初手合わせをしたそうです。
当時数え19歳。どうでしたかと聞くと、
逃げるのが専門で、ベテランの先輩に任せて
いたと笑いながら話します。
ゼロ戦は回転半径が小さく助かったと。
もうひとりの兄は、台南航空隊に所属し、
シンガポール攻略戦に参加。その後南洋で、
戦死したそうです。
ハチローさんも今少し終戦が長引けば、
特攻に送られたかもしれないと言います。
仙台バイパスの建設などに関わったそうです。
昭和2年生まれ、耳は少し遠いものの、
胆力は凄まじく、人生100年時代ですから、
今少し頑張らねばなりませんと語ります。
しかし、ハチローさんの兄二人は、
海軍兵学校の65期と70期だそうですが、
若い盛りに命を散らします。
ハチローさんが、艦船のガンルームや、
ゼロのコックピットで過ごした青春を語る今が、
ハチローさんにとっての春なのかもしれません。
まあ、生き残ったから、
笑って話せるけどといいながら、
何処と無く苦しそうに語ってくれました。