脳出血から生還~日々続くリハビリを記録

55歳の働きざかりで、脳出血で緊急入院。もう一度「ロードバイクに乗りたい」「ツールド東北に出たい」男の闘病記。

転院希望は、自分が生まれた病院

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今いる私の病院は、
「急性期」の病院で、次は
「回復期」のリハビリ病棟がある
病院に転院しなくてはならない。
 
脳卒中の場合は、
回復期の6か月が非常に重要らしく、
そこを過ぎると「薄皮をはがす」ようにしか
良くなrないんだろう。
 
次に転院する「公済病院」と言えば、
私が、生まれた病院だった。
 
 
日本有数の「歓楽街・国分町」にある病院。
仲間の誠くんなどは、早速
「近くだから、飲みに来れるさ」 と言ってきた。
 
 
国分町と言えば、昔、お盆やお正月に、
ママさんが家にご挨拶にきた。
 
もちろん、私にではなく、「親父」だ。
実は、一人、私にも菓子折りを持って、
挨拶に来てくれたママさんがいる。
 
私が所属する団体の先輩のご紹介で
行っていた店で、私もとても気に入っていた。
 
 
お店の雰囲気、ママのすばらしさは、
当時の国分町でもイケていた、と思う。
 
 
一度だけだが、母を連れて行ったことがある。
ママさんは私が母を連れて飲みにきたのを
いたく喜び、自宅に挨拶に来た、のだ。
 
 
親子で来てもらえる店、と評価されたと思う。
実際、素晴らしい店だったから、私も
こういう所でお酒を飲んでいます、と
親を安心させたかった。
 
 
その昔の「良き時代」の国分町には、
こうした親子や家族で顔を出せる店があり、
安心して過ごせたもの、だ。
 
 
口も堅く、話も上手な人が多かった。
今はあまり行くこともなくなった国分町だが、
また良くなったら、飲みに行ってもいいかな。
 
その店でよくかかかっていた、
ケアリー・レイシェル  を聞いてハワイを
思い浮かべています。
 
ハワイのセンチュリーライド(60km走るやつ)に出たいな。
 
※写真は、生まれた病院「公済病院」で赤ちゃんモデルを
していたころの写真。