脳出血から生還~日々続くリハビリを記録

55歳の働きざかりで、脳出血で緊急入院。もう一度「ロードバイクに乗りたい」「ツールド東北に出たい」男の闘病記。

2021年の正月に、脳出血で倒れて緊急入院。

<夫はまだICUに入っており、家族に面会もできず、

 インターネットも繋がりません。

 夫の希望で、闘病記のブログを立ち上げました。

 妻が代筆しています。>

写真>左は搬入時のCTの写真。

   右は搬入後3時間経過した時のCTの写真。

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ちゃんと運動も、高血圧の薬も飲んでたのに、なぜ?

次に会った時、夫は床に倒れていた。

 

お正月は暇なので、喫茶店でコーヒーを飲もうと、

妻の私が先に喫茶店に行く。

全然来ないので、

「何時に来るの?〇〇のドトールにいる」と書いても

連絡がなかった。

 

電話がきた。

声がおかしい。

『左半身が動かない。脳梗塞だと思う』

 

義父は、何度か脳梗塞をやっていたため、

『一刻を争う』ことを知っていたのが幸いだった。

 

すぐに119番をして、私はタクシーで家に。

動悸が激しく、過呼吸気味になった。

運転手に事情を説明。

「家族が倒れたので、急いでほしい」

 

救急隊はもう到着していた。

そのまま救急車に乗り、

地域で一番有名な脳の病院の救急病棟へ。

 

夫は救急車の中で、何度も謝っていた。

「ごめんね、○○ちゃん(妻の名前)」

「〇〇に電話して。電話番号は✖✖✖―✖✖✖✖」

 

電話番号を覚えていることに、ちょっと安心したが、

夫の左手、左足は、全然動いていなかったことに

心が暗くなった。

 

CTからの診断は、脳出血だった。

右脳に出血がみられた。

 

私は知らなかったが、脳出血には治療法がない、らしい。

心が重くなった。

血圧を下げる、しかない。

それも、決定的な薬もなく、その医師や病院が

信じている薬を使うしかないのだ。

 

もしこの血が広がるようであれば、頭部の手術、と言われた。

頭の手術か。。。。

 

手術は成功しても、

合併症が怖いことを知っていた。

 

そして、麻痺が残るかもしれないことを知った。

 

コロナの影響で、家族でもICUにいる患者に面会はできない。

 

3時間後に、再度CTスキャンと、MRIの写真を見る。

「梗塞」が原因ではなく、

「高血圧」が原因だということが分かった。

 

二度目のCT検査の時に、

夫が待合室の前を運ばれていった。

夫は、泣いていた。

左半身は動かないので、右手を差し出した。

「ごめんね、〇〇(妻の名前)ちゃん、ごめんね」

「必ず、元気になって戻ってくるから」

 

これから、3か月の入院となった。

コロナのこんな時に、ICUが空いていたことに感謝、だ。

 

彼は、家族にも会えず、友達にも会えず、

ネットも見れず、

一人で孤独に戦っている。

麻痺が残るかもしれない、という恐怖と戦っている。

 

考える時間、

考えてしまう時間がたっぷりある、ということ、だ。

 

「日記を書くことにした」と言う。

書きながら、自分を奮い立たせているんだろう。

 

また自転車に乗りたい。

またロードバイクに乗りたい。

彼の、心からの思いで、リハビリと孤独を耐える希望の小さな光、なんだな。